青森地方裁判所 昭和52年(ワ)354号 判決 1988年4月26日
原告
石岡道寛
原告
石岡奈保美
原告
石岡雅樹
原告
石岡育子
右石岡奈保美、石岡雅樹、石岡育子法定代理人親権者
石岡道寛
右四名訴訟代理人弁護士
清藤恭雄
被告
斎藤春雄
右訴訟代理人弁護士
饗庭忠雄
被告
五所川原市
右代表者市長
森田稔夫
右訴訟代理人弁護士
伊藤治兵衛
主文
一 被告斎藤春雄は、原告石岡道寛に対し金一〇八五万〇六四三円、同石岡奈保美、同石岡雅樹、同石岡育子に対し各金七一六万七〇九七円及び右各金員に対する昭和五一年二月一二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、原告らと被告斎藤春雄との間においては、原告に生じた費用の三分の二を被告斎藤春雄の負担とし、その余は各自の負担とし、原告と被告五所川原市との間においては、全部原告らの負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは各自、原告石岡道寛に対し金二二六六万九一七二円、原告石岡奈保美、同石岡雅樹、同石岡育子に対し各金一四一四万六一〇九円及び右各金員に対する昭和五一年二月一二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 この判決は仮に執行することができる。
二 請求の趣旨に対する被告らの答弁
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
原告石岡道寛(以下「原告道寛」という。)は亡石岡茂子(以下「茂子」という。)の夫であり、原告石岡奈保美(以下「原告奈保美」という。)、同石岡雅樹(以下「原告雅樹」という。)及び同石岡育子(以下「原告育子」という。)はいずれも原告道寛と茂子との間の子であり、被告斎藤春雄(以下「被告斎藤」という。)は、青森県五所川原市において斎藤産婦人科医院(以下「斎藤医院」という。)を開業する産婦人科医であり、被告五所川原市は、同市内において西北中央病院(以下「西北病院」という。)を営むものである。
2 診療契約の成立
茂子は、昭和五一年二月一二日、被告斎藤との間で、原告育子の分娩及びそれに伴つて発生するかもしれない異常分娩について適切な治療行為を受けることを内容とする診療契約を締結し、次いで、被告五所川原市との間で、同被告がその履行補助者である西北病院の医師により、茂子の出産後の異常事態について適切な治療行為を受けることを内容とする診療契約を締結した。
3 茂子の死亡に至るまでの経緯
(一) 茂子は、昭和五〇年五月中旬ころ第三子である原告育子を懐胎し、妊娠四か月目の同年八月一九日被告斎藤の診察を受け、診察の結果は母体に異常はなく、胎児の発育も順調で、出産予定日は昭和五一年二月一一日とされた。その後、茂子は、定期的に被告斎藤の診断を受け、途中昭和五〇年一〇月中旬ころ前記西北病院で鼠径ヘルニヤの手術のために入院治療したほかは異常はなく、母体も胎児の発育も順調であつた。
(二) 茂子は、昭和五一年二月一二日午前七時ころ、斎藤医院に、分娩のため入院し、午前九時過ぎころ分娩室に入り、午前一一時〇七分ころ無事育子を分娩(以下「本件分娩」という。)した。ところが、茂子は、本件分娩に際し発生した子宮頸管裂傷とこれに連続する子宮不完全破裂による大量出血のため分娩後間もなくして、出血性ショックの状態を呈するようになつた。これに対して、被告斎藤は、輸血、輸液、酸素吸入等の治療を試み、また、子宮頸管裂傷の縫合手術をしたが、子宮不完全破裂に対する適切な治療をとらなかつたため、茂子の大量出血は続き、同女のショック症状は改善しなかつた。そのため、被告斎藤は、同日午後二時五五分ころ、茂子を西北病院に転送した。
(三) 同日午後三時ころに、茂子は、西北病院に到着し、高沢哲也医師(以下「高沢医師」という。)及び高橋秀身医師(以下「高橋医師」という。)の診断、治療を受けたが、ショック症状に改善がなかつた。同日午後五時四〇分ころ、高沢医師が茂子の夫である原告道寛に対し、このままでは茂子の命が危ない旨を告げ、子宮摘出手術の同意を求め、道寛がこれに同意して、同日午後七時二五分ころ、茂子の子宮摘出手術が施行されたが、茂子は子宮摘出と同時に死亡した(以下この死亡事故を「本件事故」ともいう。)。
4 茂子の死亡原因
茂子の死亡原因は、本件分娩に際し発生した子宮頸管裂傷とこれに連続する子宮不完全破裂による大量出血に対して、被告斎藤及び高沢医師らが適切な措置をとらず、漫然と時間を徒過したため、出血性ショックの状態となつて急性貧血の症状を呈し、それが重篤となり、ついに心不全で死亡するに至つたものである。
5 被告らの責任
茂子の死亡は、被告らの以下のような過失又は債務不履行に基づくものである。
(一) 被告斎藤の責任
(1) 貧血検査の義務懈怠
分娩に際して、大量出血や異常出血を伴うことは珍しいことではなく、そのような大量出血や異常出血があると母体の生命を危険に晒すことになるから、産科医としてはできるだけ早い段階から妊婦に対する管理・検査を十分に実施して、分娩時大出血の可能性を予想して、その予防と原因の確認に努めるべき義務がある。とくに、「貧血の発見と治療は産科出血対策の第一歩」であり、妊婦に貧血があると一〇〇〇cc以下の出血量でも出血性ショックに陥る可能性が十分にあるといわれているから、貧血の検査は妊婦にとつて必要不可欠のものであり、産科医としては、妊娠初期の段階から分娩時に至るまで、定期的に貧血検査を行い、もし、貧血であることが判明した場合には、直ちにその治療(投薬、食事療法など)を行うべきであり、このような措置をとることによつて、妊婦の分娩時大量出血等による死亡を相当程度予防しうるのである。
しかるに、被告斎藤は、茂子が本件妊娠前期から貧血症状を呈していたもかかわらず、その治療を施さず、食事療法その他の指示もしなかつた。のみならず、妊娠中期、後期においては貧血の有無、程度の検査さえ全く行わなかつた。
(2) 分娩後の検査、診察義務の懈怠と子宮下部組織の断裂(子宮不完全破裂)の見落とし
分娩時には、子宮頸管部等に軽度の裂傷を生ずることは少なくなく、それがときに出血多量となり、早期に適切な治療が行われないと手遅れとなり、妊婦の死亡を招くということも往々にしてあるから、胎盤娩出後直ちに母体の内診(触診、膣鏡による視診)をして、子宮頸管裂傷や子宮破裂の有無、部位、程度等について精査することは、産科医の基本的義務である。
とくに、茂子は、分娩直後から異常出血が続き、容体が急激に悪化しつつあつたのであるから、被告斎藤としては茂子の出血部位の確認、その原因の把握等を可及的速やかに努めるべきであつたのにこれを怠り、漫然と時間を徒過し、胎盤娩出後約一時間二〇分も経過した時点で初めて内診を実施したものであり、同被告が、胎盤娩出後直ちに内診による精査を実施しておれば、その時点で本件頸管裂傷を発見することができただけでなく、これに連続する子宮下部組織の断裂(子宮不完全破裂)をも触診することが十分可能であつたから、これに対する適切な処置をすることによつて茂子を救命しえたはずである。
また、本件裂傷は子宮頸管から連続して子宮下部組織に達する長い断裂状のものであり、被告斎藤が内診した時点においても慎重に内診し精査すればこれを触知、確認しえたものであるにもかかわらず、同被告は頸管裂傷の存在を触知したのみで、子宮下部組織の断裂を看過した。
さらに、輸血や輸液などの措置を講じても血圧の改善が認められない場合には、まず内出血を疑うべきであり、また、頸管裂傷を縫合してもなお出血が続く場合には、裂傷が子宮下部に及んでいる可能性が強いのであるから、再度、頸管深部及び子宮下部の触診を慎重に行つて精査し、出血部位を正確に把握する義務があるにもかかわらず、これを怠つたものである。
結局、茂子の致命傷たる子宮下部組織の裂傷を看過したことは、被告斎藤の最も大きな注意義務違反である。
(3) 止血義務とその懈怠
妊婦の出血が続けば、出血多量となり出血性ショックから死に至る危険性が高まるのであるから、産科医としては、出血部位を縫合するなどして完全な止血措置を講ずる義務がある。しかるに、被告斎藤は、茂子の頸管裂傷部位のうち、約4.5センチメートルの部分に三Z縫合と一分節縫合をしたのみで、右裂傷の程度に照らして不十分な措置しか講じず、止血の目的を達することができなかつた
また、頸管裂傷を縫合してもなお出血が続く場合には、裂傷が子宮下部に及んでいる可能性が強いのであるから、できるかぎり早急に開腹手術をして、子宮を深部で切断摘出して完全に止血する措置を講ずるべき義務があるのに、被告斎藤は右の措置を怠つた。
(4) 輸血義務とその懈怠
茂子は内出血を含め、大量の出血によつて、ショック状態に陥つていたのであるから、多量の新鮮血の輸血をすべきであつたのに、被告斎藤は、必要量の新鮮血の輸血をしなかつた。
(5) 転院義務とその懈怠
茂子は、子宮頸管裂傷及び子宮不完全破裂により分娩直後から出血が続き、重度の貧血状態及びショック状態を呈していたのであるから、前記のように、できるかぎり早急に開腹手術をして、子宮を深部で切断摘出して完全に止血する措置を講ずるべき義務があり、自ら開腹手術を実施することができないときには、全身状態を整え、できるかぎり早急に転院の措置をとるべきであるのに、被告斎藤は事態の推移を楽観し、もしくは茂子の症状を軽視して漫然と時間を徒過し、分娩後三時間三〇分も経過して漸く前記西北病院に転院させたものであり、早急に転院の措置をとるべき義務を怠つた。
(6) DIC(播種性血管内凝固症候群)の予防とその治療上の義務懈怠
妊婦に大量出血があるときは、DIC(凝固活性物質の血管内侵入により、全身の細小血管に血栓が形成されるもの、Syndromes of Disseminated Intravascu-lar Coagulation)が併発しやすく、DICが発症すると出血性ショックとDICとの悪循環により病態が急速に増悪し、死の転帰をとるおそれが大きいから、産科医としては、DICを併発しやすい大量出血等の症状に遭遇した場合は、DIC合併の可能性を考えて、注意深く患者の症状を観察し、必要な検査を実施すべき義務があるとともに、DICの基礎疾患の早期除去に努める義務がある。
本件においては、DIC発症の基礎疾患は、頸管裂傷及び子宮下部組織の断裂(子宮不完全破裂)及びこれを原因とした大量出血と失血性ショックであり、被告斎藤としては、頸管裂傷及び子宮下部組織の断裂を完全に縫合して止血する義務があるのに右義務を怠つた。
また、DICの予防と治療としては、右の根本的治療と合わせて新鮮血の輸血と止血剤、抗DIC剤(フイブリノーゲン、抗凝固剤)、副腎皮質ホルモンの大量投与を行うべきであるのに、被告斎藤は、DIC発症の可能性に思い至らず、その予防及び治療の措置を全くとらなかつた。
(7) 説明義務とその懈怠
医師は、患者やその家族から病状やその見通しあるいは手術の結果について説明を求められた場合は、誠意をもつて正確にこれを説明すべき義務があるが、被告斎藤は原告らから、茂子の入院中及び死亡後にその症状の経過及び死亡原因について説明を求められたにもかかわらず、誠意ある説明をせず右義務の履行をしなかつた。
(二) 被告五所川原市の責任
高沢医師及び高橋医師は、被告五所川原市の履行補助者であるところ、次のような債務不履行ないし過失がある。
(1) 出血または裂傷の部位確認義務及び止血義務とその懈怠
茂子は西北病院に転送されてきた時点で、既に、多量の出血のために重度の失血、ショック症状を呈していたのであるから、高沢医師及び高橋医師としては、直ちに触診及び視診により出血もしくは裂傷部位を確認して、止血方法を講じるべきであつたにもかかわらず、右義務を怠つた。
とくに、茂子には、深部頸管裂傷が認められ、被告斎藤がこれを縫合しても、なお出血が続いていたこと、大量の出血が原因と推認されるショック状態にあつたこと、被告斎藤が酸素吸入、輸血、輸液などの措置を講じたのにショック状態の改善が認められないのみか、それが一層悪化しつつあつたこと等の事実が判明していたのであるから、高沢医師らとしては、子宮内に頸管裂傷以外の出血創があるのではないかと予見し、躊躇することなく、直ちに開腹手術を実施して、その出血創を探索、把握し、完全に出血を止める方法を講ずるべきであつた。しかるに、高沢医師らは、血圧の上昇を図るなど、茂子の一般状態の改善に努めたものの、右開腹手術を躊躇し、実際に執刀するまでに約三時間も経過したため病態が悪化し回復不能となり、茂子をして死に至らしめたものである。
(2) DICの検査及び治療義務とその懈怠
前記のように、産科医としては、DICを併発しやすい大量出血等の症状に遭遇した場合には、DIC発症の可能性を考えて、患者の症状を観察し、必要な検査を実施すべき義務があるところ、高沢医師らは、自己の診察と被告斎藤の説明によつて茂子が出血による重症のショック状態にあることを認識していたのであるから、前段の開腹手術と並行してDIC発症の可能性を考慮し、その検査をしてDICの進行状態(凝固亢進期か線容亢進期か消費性凝固障害期かなど)を把握するとともに、その病態に応じた治療(大量の新鮮血輸血と副腎皮質ホルモンの大量投与等)を開始すべき義務があつたというべきである。しかるに、高沢医師らは、茂子の一般状態の改善に努めただけで、右検査や治療を怠り、DICの発症を看過し、約三時間にわたつて出血性ショックとDICを長引かせ、その悪循環によりいわゆる「確立されたDIC」に至らしめ、茂子の死を招いたものである。
6 損害
(一) 茂子の逸夫利益と原告らの相続
(1) 茂子死亡時、石岡家の家族は、夫である原告道寛と原告ら三人の子供の外、道寛の両親及び道寛の祖父らがおり、茂子はこれら同居の家族の家事、育事に従事する一方、夫である原告道寛とともに、家業である農業に従事していた。石岡家は、稲作及びりんご栽培を主とする専業農家であり、茂子死亡前の二年間の年平均収穫高は、米三三〇俵、りんご一一〇〇箱であつたが、このうち農協に販売委託したのは米三〇六俵、りんご九九〇箱であつて、その販売額合計は六八四万六一七七円であつた。しかし、実際の総収穫高は右販売委託額よりも一割程度多く、七五三万〇七九四円相当額であつた。
そして、茂子は、右農業経営においても、夫道寛と同様に支柱的役割を担つていたもので、その寄与率は四〇パーセントは下らないから、同人の平均年収入は金三〇一万二三一七円を下回らない。
そうすると茂子の逸失利益は、右平均年収から、生活費として三〇パーセントを控除したうえ、将来の就労可能年数を死亡当時の二五歳から六七歳までの四二年間とみて、その間の中間利息をホフマン式計算法で控除し、得べかりし利益の現価を計算すると四七〇〇万七五〇〇円となる(計算式は次のとおり。)。
3,012,317×(1−0.3)×22.293(新ホフマン係数)=4,007,500(円)
(2) 原告らは、茂子の死亡により、その法定相続分(原告道寛は三分の一、同奈保美、同雅樹、同育子は各九分の二)に応じて、右逸失利益を相続した。よつて、原告らの右逸失利益の相続分は、原告道寛が一五六六万九一七二円、同奈保美、同雅樹、同育子が各自一〇四四万六一〇九円となる。
(二) 慰謝料
本件医療事故により、原告道寛は最愛の妻を失い、原告奈保美、同雅樹、同育子は幼くしてかけがえのない母を失つたものであり、原告らの悲しみは甚大であるから、原告らの被つた精神的苦痛を慰謝するためには、原告道寛については五〇〇万円、原告奈保美、同雅樹、同育子は各二五〇万円が慰謝料として支払われるべきである。
(三) 弁護士費用
原告らは、本件訴訟の提起及び追行を弁護士に委任したが、本件事案の内容、請求額等に照らして、本件医療事故による損害として被告らに負担させるべき弁護士費用の額は、原告道寛については二〇〇万円、原告奈保美、同雅樹、同育子は各一二〇万円が相当である。
7 よつて、被告ら各自に対し、診療契約上の債務不履行若しくは不法行為による損害賠償請求権に基づき、原告道寛は二二六六万九一七二円、原告奈保美、同雅樹、同育子は各一四一四万六一〇九円及び右各金員に対する茂子死亡の日である昭和五一年二月一二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 被告斎藤
(一) 請求原因1、同2の各事実は認める。
(二) 同3の(一)の事実は認める。同3の(二)の事実のうち、茂子が昭和五一年二月一二日午前七時ころ、斎藤医院に、分娩のため入院し、午前九時過ぎころから分娩室に入り、午前一一時〇七分ころ無事育子を分娩したこと、同日午後二時五五分ころ茂子が西北病院に転送されたことは認め、その余は争う。同3の(三)の事実は不知。
(三) 同4ないし7の主張は争う。
2 被告五所川原市
(一) 請求原因1、2の各事実は認める。
(二) 同3の(一)の事実のうち、茂子が昭和五〇年一〇月中旬ころ、西北病院において鼠径ヘルニヤの手術のため入院治療したことは認め、その余の事実は不知。
(三) 同3の(二)の事実のうち、茂子が昭和五一年二月一二日に育子を出産したことは認め、その余の事実は不知。
(四) 同3の(三)の事実のうち、茂子が同日三時ころ西北病院に転送されたこと、同日午後五時四〇分ころ原告道寛の同意を得て子宮摘出手術を受けたが、同日午後七時二五分ころ同女が死亡したことは認め、その余の事実は不知。
(五) 同4ないし7の主張は争う。ただし、原告らが茂子を相続したことは認める。
三 被告斎藤の主張
1 茂子の臨床経過は次のとおりである。
(1) 茂子は、昭和五一年二月一二日午前二時三〇分(以下日にちは省略する。)陣痛開始し、その後異常なく経過し、午前一一時七分に女児三三〇〇グラムを順調に自然分娩した。分娩の出血量は約四〇〇ccであつた。分娩直後に子宮収縮剤メテルギン一アンプルを静脈注射した。
(2) 午前一一時一三分に胎盤六〇〇グラムを自然娩出したが、胎盤には何ら異常は認められなかつた。胎盤娩出後、しばらく出血はなかつたが、その後、少量の性器出血が続いた。外診の結果では、子宮底は臍の高さより横一指だけ下にあつて、子宮の収縮は極めて良好で、腹部膨張や圧痛もなく、一般状態も比較的良好であつた。午前一一時一七分、プレマリン(止血剤)二〇ミリグラムを静脈注射して止血した。
(3) 午前一一時二二分、血圧九六ないし六〇、眼瞼がやや貧血ぎみであつたが、一般状態は良好であつた。また、肺及び心臓は聴診上異常なく脈拍数は毎分八六で緊張良好であつた。この状態は胎児娩出時の出血による一時的な軽度のショック状態と判断し、午前一一時二六分に毎分一リットルの割合で酸素吸入を開始し、血管確保とショック改善の目的でパンアミンD(デキストラン、必須アミノ酸と電解質剤)五〇〇ccとソルコーテフ(副腎皮質ホルモン)一〇〇ミリグラムを混ぜて点滴を開始した。
(4) 午前一一時三五分、心拍出量を増加して血圧を上昇させる目的でエホチール一アンプル筋肉注射した。その際も、肺及び心臓は聴診上異常なかつた。
(5) 午前一一時四二分、念のため、反対側の腕より、血管確保、血圧上昇の目的でパンアミンD五〇〇ccの点滴を開始した。
(6) 午前一一時五二分、それまでの外出血量は約四〇〇ccとなり、念のため、出血による一時的ショックということも考え、午前一一時四二分開始のパンアミンDの点滴を中止し、保存血二〇〇ccを輸血。午後〇時二八分、新鮮血二〇〇ccの輸血を開始した。
(7) 午後〇時三二分、最大血圧八四、再び少量外出血が始まつたので、一〇〇ワットの反射燈で照らし、ジモン式膣鏡をかけて、膣壁、子宮膣部、膣円蓋部などを念入りに検索したところ、子宮頸管の約三時の方向に裂傷があり、そこから出血していること、その裂傷の奥の方は盲端に終わつていることを確認した。そこで、子宮頸部の裂傷部を胎盤鉗子で把持し、四本の絹糸で縫合して止血した。また、子宮腔まで丹念に触診したが、手指の届く範囲には、それ以上の裂傷や破裂と思わせる所見は認められなかつた。不完全破裂も疑つて内診してみたが、頸管裂傷以外の裂傷、血腫の形成は認められなかつた。
(8) 午後〇時四二分、輸血等によるアレルギー反応予防のためアタラックス(抗アレルギー剤)二五ミリグラムを二分の一アンプル筋肉注射。
午後〇時五〇分、最大血圧八八。
午後一時一五分、血圧九〇ないし五八。腹部は触診では軟らかく、腫瘤、圧痛、膨張などはなく、子宮は臍の高さにあり、悪露も少量であつた。
(9) その後、午後一時二三分に保存血二〇〇cc輸血開始。
午後一時三〇分、強力カルシノン(強心剤)一アンプル筋肉注射。
午後一時四五分、血圧八八ないし六〇。
午後二時〇分、保存血二〇〇cc輸血開始。
(10) 午後二時六分、血圧八二ないし五四、悪露も中等量となる。腹部は平たく、軟らかくて、異常はなく、子宮底は臍の高さにあり、子宮の収縮は良好であり、チアノーゼはなく、呼吸も殆ど正常であつた。
頸管裂傷縫合後、右のとおり抗ショック療法を続けたが、依然として血圧が一〇〇を上回らないため、頸管裂傷のほかにメテルギンの副作用、羊水栓塞などの非出血性ショック、産科領域外の非出血性ショックの合併症の疑いもでてきたため、人的物的設備の整つた西北病院への転送を考え、そのころ、西北病院の高沢医師に電話し、これまでの臨床経過と現在の症状を説明し、転送の承諾を得た。
(11) 午後二時二五分、血圧八〇ないし五〇、腹部に異常なく、軽度の発汗があり、脈拍は毎分九六で規則的であつた。全身状態は必ずしも悪くないので、転送を決意し救急車の手配をする。午後二時三〇分ころ、パンアミンD五〇〇ccにエホチール一アンプル、ソルコーテフ一〇〇ミリグラムを混入して点滴を開始した。
(12) 午後二時三九分、救急車で搬送開始。同時に、新鮮血二〇〇ccの輸血を開始した。
(13) 午後二時五五分ころ、西北病院に到着。
2 子宮不完全破裂の診断について
(1) 子宮不完全破裂の特殊性
本件は、分娩後子宮の不完全破裂が発生し、大量出血を生じ、その後DICを併発して、患者が死亡したという事案であるが、もともと、子宮不完全破裂は分娩一七〇〇ないし二〇〇〇例に一例(最近の統計には子宮破裂のうち自然破裂の全分娩に占める発生頻度は0.008ないし0.01パーセントという発表もある。)といわれるほど希なもので、被告斎藤が取り扱つた約四〇〇〇例の分娩の中で最初のケースであるうえ、非定型的な症状を呈することが多く、その診断が困難である場合が多いから、被告斎藤がその診断を誤つたとしても止むを得ないものである。また、子宮不完全破裂の場合は、「子宮の筋層のみが破裂し、出血は破裂側の広靱帯内に貯留して柔軟な腹膜下血腫をつくり、出血が大量な場合には、側腹壁に沿つて上下に広がり、下方は骨盤骨膜に達し疼痛を訴え、出血量が多い場合は、急性貧血あるいは虚脱の症状を呈し、外出血は一般に完全破裂の場合より多い」といわれており、その診断上最も有力な手掛かりとなるのは、子宮の一側に増大する血腫の形成にある。したがつて、腹部の検診を入念に行うとともに、併せて外出血や呼吸、脈拍、血圧など全身状態を充分時間をかけて観察する必要があるとされている。
本件においても、被告斎藤は、子宮不完全破裂等による内出血を疑つて何回となく茂子の腹部の状態を触診したが、血腫の発生を疑わせる徴候は認めなかつた。また、被告斎藤は、胎盤娩出後一時間二〇分経過するまでの間に断続的に出血を認めたので、さらに子宮、膣を綿密に内診した結果、頸管裂傷を認め、その裂傷の奥の方が盲端に終わつていることを確認したうえ、これを直ちに縫合し、その際、照明燈を照らしてジモン膣鏡等を使用して綿密に内診を行い、また、手指を子宮腔の下三分の二くらいまで挿入して入念に内診したが、頸管裂傷以外の裂傷は認めなかつたし、血腫の存在やその発生を疑わせるような徴候の存在を認めなかつた。
(2) 本件破裂創発見の困難性
本件の裂傷部位(子宮頸管裂傷の奥の破裂創)は、その表面が漿膜や靱帯などで覆われていたうえ、漿膜や靱帯などに血液浸潤による浮腫、腫張があつたため、触診によつては漿膜下の本件裂傷がはつきりと確認できない状態にあつたものと推認される。また、被告斎藤は、胎盤娩出後断続的に出血を認めたので、午後〇時三二分ころ子宮、膣を綿密に内診した結果、頸管裂傷を認め、その裂傷の奥の方が盲端に終わつていることを確認したうえ、これを直ちに縫合し、その際、照明燈を照らしてジモン膣鏡等を使用して綿密に内診を行い、また、手指を子宮腔の下三分の二くらいまで挿入して入念に内診したが、頸管裂傷以外の裂傷は認めなかつた。したがつて、頸管裂傷の奥に接続するとされる破裂創は、高沢医師が子宮を切除して摘出する際に形成された可能性が大きく、右のような裂創の部位や状態に照らせば、被告斎藤が右の子宮破裂創を発見することは極めて困難な状況にあつたというべきである。
(3) 右のような臨床状況においては、被告斎藤において子宮不完全破裂を疑うべくもなく、他に適切な補助診断方法もないこの種病状にあつては、そのまま経過を観察する以外に具体的な処置はなく、被告斎藤が本件不完全破裂を発見できなかつたことには過失がない。
(4) 鑑定人藤本征一郎の鑑定の結果は、被告斎藤に子宮不完全破裂の見落としがあつたかのように述べるが、判断のもとになつた文献や資料を明記しておらず、系統的説明もなく簡潔に過ぎ、その信憑性は乏しい。
3 ショックに対する対応について
被告斎藤は、茂子のショック症状は、出産後の疲労と分娩時の四〇〇ccの出血を原因とするものと考え、血圧上昇のため酸素吸入、補液の点滴、止血剤、血圧上昇剤等の注射、保存血及び新鮮血の輸血をしてその回復を図つた。しかし、その後も血圧が上昇せず、また胎盤娩出後しばらくなかつた性器出血が断続的に認められたため、再度綿密に内診した結果、頸管裂傷を認めたのでこれを縫合して止血した。そして、被告斎藤は、右裂傷による出血以外に内出血を疑わせるような徴候がなかつたことから、右の裂傷の縫合、止血によつて茂子のショックは自然に改善されるものと考えたのであり、右被告斎藤の診断、治療経過には非難されるべき点はない。
4 DICに対する対応について
被告斎藤はDICのことは念頭において茂子を観察していたが、被告医院に滞在中はDICを疑わせる徴候、例えば、出血した血液が凝固しにくいとか、注射針をさしたあとの出血が止まりにくいとか、鼻出血、口腔粘膜出血などは認められなかつたのであるから、DICの病態に応じた治療を行わなかつたとしても被告斎藤には責められるべき点はない。
5 子宮摘出と転院の措置について
茂子には、叙上のごとく頸管裂傷以外に異常出血の症状はなく、不完全破裂を疑わせるような徴候もなかつたので、全身状態の観察と輸血、輸液、酸素吸入等ショックに対する治療を続けたのであり、不完全破裂発症の強い疑いをもつて大量輸血とか子宮摘出(その体制が整つていなければ転院の措置を含めて)をとる義務まではなく、むしろこれらの措置をとつた場合に生ずるより大きな危険を考慮するならば、被告斎藤のとつた措置は最善の方法であつた。
6 因果関係について
被告斎藤は時期を失することなく転院の措置をとり、事後の措置を一切西北病院に委ねたものであるから、茂子が右病院において死亡したとしても、被告斎藤の医療上の措置と茂子の死亡との間には因果関係はない。
四 被告五所川原市の主張
1 西北病院における臨床経過は次のとおりである。
(1) 茂子は、前同日午後三時ころ、西北病院に転送されたが、その際の状況は、最高血圧は四〇、脈拍毎分一四二で微弱、全身蒼白で冷感があり、口唇にチアノーゼがみられ、呼名反応はあるが意識は幾分不明であり、重度のショック症状を呈していた。
高沢医師は、右のような症状の下では、まずショック状態の解決が先決であると判断し、酸素吸入を続けながら血圧上昇を図るために輸血、補液を行い、視診、触診による破裂裂孔部位の確認に努めた。
(2) 午後四時三五分ころ、茂子は呼名反応、自発呼吸ともになく、脈拍もなくなり、心停止の状態に陥つた。そこで、高沢医師は、心臓マッサージを施行し、同四〇分ころ茂子は蘇生するに至つた。その後は、人工呼吸器を使用して呼吸の確保に努め、輸血、補液を続けてショックの改善に努めた。
(3) 午後五時三〇分ころに、茂子の血圧が最高九〇に回復し、同四五分ころには、看護婦らの問いに答える反応も見られるに至つた。しかし、輸血、補液を続けてショックの改善に努めるだけでは、手術可能状態とされる血圧最高一〇〇を確保には至らず腹腔内での出血が予測されたので、高沢医師は、開腹手術により子宮摘出のほかないと判断し、原告道寛らの同意を得て右摘出手術に踏み切つた。
(4) 午後六時三〇分ころ、茂子を手術室に運んだが、その際には、血圧最高九〇、脈拍一〇〇、呼吸四〇であつた。しかし、同四八分ころになり、血圧最高六〇、脈拍測定不能、顔面蒼白と再び危険な状態となつた。しかしながら、高沢医師は、向後茂子のショック状態の改善は期待不能と判断し、同五八分執刀を開始した。しかし、午後七時一七分茂子は呼吸停止となり、人工呼吸を続けるも同二五分死亡した。
2 高沢医師の処置には以下に述べるように過失がない。
(1) 血圧が最高一〇〇以下での手術は生命に対する危険が極めて大きいとして、通常はこれを行わないのが現代医学界の常識である。茂子は転送された時点では、重篤のショック状態に陥つており、血圧も最高五〇程度の状態を継続したのであるから、その時点で子宮摘出手術をすることは極めて危険な行為というべきで、まず、輸血、補液によるショックの改善を図ることが最良最優先されるべきであり、高沢医師のとつた処置は適切であつた。
(2) 高沢医師が視診、内診した段階では、茂子の子宮不完全破裂を確認できなかつたことは認めるが、同医師も腹腔内の破裂、裂傷を予測しなかつたものではない。しかし、仮に不完全破裂を確認できたとしても、まず、一般状態の改善を図ることが最優先されるべきであるから、直ちに開腹手術をしなかつたことをもつて、高沢医師の処置を非難することはできない。
(3) 高沢医師の処置には、DICの併発を予見した治療、検査内容が乏しいとしても、医師としては、まず、現出血創を治すことが大事であり、高沢医師の処置も止むを得ないものである。
第三 証拠<省略>
理由
一請求原因1、2の各事実はいずれも当事者間に争いがない。
二<証拠>によれば、茂子は昭和五〇年五月中旬ころ、第三子である原告育子を懐胎し、妊娠二か月目の同年六月一八日被告斎藤の診察(初診)を受け、診察の結果、出産予定日は昭和五一年二月一〇日とされたこと、その後、茂子は定期的に被告斎藤の診察を受け、昭和五〇年七月三一日の血液検査では中度の貧血(ザーリ七三パーセント、赤血球三五二万)と診断され、また同年一〇月中旬ころ西北病院で鼠径ヘルニヤの手術のため入院治療したほかは格別の異常もなく、母子ともに順調に発育し、昭和五一年二月九日に最後の来診を受けたことが認められる(茂子が五〇年一〇月中旬ころ西北病院で鼠径ヘルニヤの手術のため入院治療したことは当事者間に争いがない。)。
三茂子の臨床経過について
(一) 被告斎藤医院における臨床経過について
被告斎藤医院に入院したのち西北病院に転送されるまでの間の茂子の身体の状況及びこれに対する被告斎藤のとつた処置の経過については、<証拠>を総合すれば、以下の各事実が認められる。
(1) 茂子は、昭和五一年二月一二日午前二時三〇分ころに陣痛が開始し、同日午前七時ころ斎藤医院に分娩のため入院し、午前九時過ぎころ分娩室に入り、午前一一時〇七分ころ原告育子三三〇〇グラムを自然分娩した(茂子が、午前七時ころ入院し、午前九時過ぎころ分娩室に入り、午前一一時〇七分ころ原告育子を分娩したことは、原告と被告斎藤の間では争いがない。)。分娩時から午前一一時二五分ころまでの茂子の出血量は約四〇〇ccであつた。また、被告斎藤は、分娩直後に子宮収縮剤メテルギン一アンプルを静脈注射した。
(2) 茂子は、午前一一時一三分に胎盤六〇〇グラムを自然娩出したが、胎盤には何ら異常は認められなかつた。その後、間もなくして滲むような性器出血が持続したので、被告斎藤は、午前一一時一七分、止血のためプレマリン(止血剤)二〇ミリグラムを静脈注射した。そのころ、外診の結果では、子宮底は臍の高さより横一指だけ下にあつて、子宮の収縮は良好であつた。
(3) 午前一一時二二分ころ、茂子は血圧九六ないし六〇となり、眼瞼がやや貧血ぎみとなつた。しかし、肺及び心臓は聴診上異常なく、脈拍数は毎分八六で緊張良好であり、一般状態は悪くなかつた。被告斎藤は、茂子の症状は分娩後の一時的な軽度のショック状態と判断し、午前一一時二六分ころから毎分一リットルの割合で酸素吸入を開始し、血管確保とショック改善の目的でパンアミンD(デキストラン、必須アミノ酸と電解質剤)五〇〇ccとソルコーテフ(副腎皮質ホルモン)一〇〇ミリグラムを混ぜて左腕に点滴を開始した。また、そのころ青森市の日赤血液センターに保存血の配送を依頼するとともに、茂子の家族に新鮮血を集めるように依頼した。
(4) 被告斎藤は、茂子の血圧がなかなか上昇しないので、午前一一時三五分、血圧を上昇させる目的で強心剤エホチール一アンプル筋肉注射した。その際も、肺及び心臓は聴診上異常がなかつた。
(5) 被告斎藤は、午前一一時四二分、茂子の右腕からも、血管確保、血圧上昇の目的でパンアミンD五〇〇ccの点滴を開始したが、茂子のショックが出血による一時的ショックということも考え、午前一一時五二分に、一一時四二分に開始した右腕のパンアミンDの点滴を中止し、保存血二〇〇ccを輸血に切り換えた。その後、さらに、午後〇時二八分、右腕に新鮮血二〇〇ccの輸血を開始した。
(6) 午後〇時過ぎころになり、再び出血が多めになつたことや、血圧が思うように上昇しないことから、被告斎藤は内部の出血を疑い、午後〇時三二分ころ、照明やジモン式膣鏡を用いて、膣壁、子宮腔などを検索したところ、子宮頸管の約三時の方向に裂傷があり、そこから出血していることを発見した。右裂傷は、子宮入口部(外子宮口)から約四ないし五センチメートルの長さのもので、浮腫が強く、滲出性の弱い出血を呈していた。そこで、被告斎藤は、子宮腔を胎盤鉗子で牽引しながら、右裂傷部分を四本の絹糸で縫合(三Z縫合、一分節縫合)して止血した。なお、縫合時の出血は約八〇ccであつた。午後〇時三二分ころの最大血圧は八四で、ショック状態にあつた。
(7) その後、被告斎藤は、午後〇時四二分、輸血等によるアレルギー反応予防のためアタラックス(抗アレルギー剤)二五ミリグラムを二分の一アンプル筋肉注射した。また、血圧の状態は、午後〇時五〇分ころには最大血圧は八八となり、午後一時一五分ころには血圧は九〇ないし五八とやや持ち直し、そのころの触診では腹は軟らかく、腫瘤、圧痛、膨張などはなく、子宮は臍の高さにあり、出血もあまりなく、悪露も少量であつた。そこで、被告斎藤は、子宮の収縮は良好で弛緩性出血の疑いはなく、子宮頸管部の裂傷を縫合したことや、輸血、輸液の効果が現れたものと判断した。
(8) 被告斎藤は、午後一時二三分に保存血二〇〇ccを右腕に輸血開始し、午後一時三〇分、心拍数を増量して血圧の上昇を図るため強力カルジノン(強心剤)一アンプル筋肉注射し、午後二時〇分、さらに保存血二〇〇ccを右腕に輸血開始し、午後二時五分には二本目の酸素吸入を開始した。
しかし、その後、茂子の血圧は午後一時四五分ころには、八八ないし六〇と再び低下しはじめ、午後二時六分ころには、八二ないし五四とさらに低下した。そのころの腹部の触診によると、茂子の腹部は平たく、軟らかくて、異常なく、子宮底は臍の高さにあり、子宮の収縮は良好であり、チアノーゼはなく、呼吸も殆ど正常であつた。
(9) 被告斎藤は、頸管裂傷の縫合後、右のとおり抗ショック療法を続けたが、依然として血圧が上昇せず、また、子宮内出血を疑わせるような徴候も認められなかつたので、何らかの合併症を併発したのではないかとの疑問を抱き、人的物的設備の整つた西北病院への転送を考え、午後二時六分ころ、西北病院の高沢医師に電話し、「午前一一時七分に自然分娩したこと、子宮頸管裂傷があつたが、縫合し止血していること、点滴輸血したが血圧が八〇より上昇しない」旨を伝え、茂子の転院を依頼したところ、高沢医師から転院の承諾が得られた。
(10) 午後二時二五分、茂子の血圧は八〇ないし五〇とさらに低下、発汗(冷汗)があり、顔色も悪くなり、ショック状態は悪化した。しかし、脈拍は毎分九六で規則的であり、腹部にも異常はなかつた。そこで、被告斎藤は、転送を決意し、救急車の手配をし、転送に備え、午後二時三〇分ころ、パンアミンD五〇〇ccにエホチール一アンプル、ソラコーテフ一〇〇ミリグラムを混入して点滴開始した。
また、転送時までの、斎藤医院における茂子の出血量(内出血は含まない)の総量は推定約六〇〇ccであつた。
(11) 午後二時三九分、救急車で搬送開始し、同時に、新鮮血二〇〇ccの輸血を開始した。救急車に乗せられた当時、茂子の顔は青ざめて、茂子の母館山烈子の呼び掛けに対して、かろうじて「寒い」と応答できる状態であつた。
茂子は、午後二時五五分ころ、西北病院に到着し、被告斎藤はその際、持参した助産記録(乙第八号証)を高沢医師に示した。
(二) 西北病院における臨床経過について
西北病院に転送されたのち、茂子が死亡するまでの間の同女の身体の状況及びこれに対する高沢医師及び高橋医師のとつた処置の経過については、<証拠>を総合すれば、以下の各事実が認められる。
(1) 茂子は午後三時ころ、斎藤医院から転送され入院したが、その際の状況は、血圧は最高四〇、脈拍毎分一四二で微弱、全身蒼白で冷感があり、口唇にチアノーゼがみられ、呼名反応はあるが意識は幾分不明であり、うわ言のような声を発して不穏状態を呈しており、重度のショック症状にあつた。また、性器からの出血があり、子宮底は臍上横四指にあり、やや硬く収縮は良好であつた。
高沢医師は、被告斎藤からの引き継ぎでは最高血圧八〇と聞いていたが、茂子の状態が予想外に悪いので、右のような症状の下では、まずショック状態の改善を図ることが先決であると考え、これに即応した措置をとることとした。そして、血圧の下降は出血量に比して輸液の量が不足しているものと判断し、酸素吸入(毎分五リットル)を続けながら、右足の静脈を切開して血管を確保したうえ、午後三時二〇分ころから血圧上昇を図るために、輸血、補液を行つたが、順調に滴下しないためポンプで圧力をかけて急速に輸血、輸液(保存二〇〇cc、新鮮血六〇〇cc、ラクテック五〇〇cc)を施行した。また、その際、ソルコーテフ(副腎皮質ホルモン)、エホチール(昇圧剤)、ラシックス(利尿剤)も投与した。
(2) 午後三時三五分ころの血圧は最高六〇であり、脈拍は毎分一三〇から一五〇と頻脈でショック状態は続いていた。午後四時ころに、斎藤医院で膣内に充填されたガーゼタンポナーデが抜け、その際約五〇〇ミリリットルの凝血が排出された。この時点で高沢医師は、左手二指を用い触手による内診を実施したが、手の届く範囲には裂口を発見できなかつたので、午後四時一五分に約四メートルのガーゼタンポナーデを施行し、外部への出血は一応治まつた。そのころ、さらに左足の静脈を切開して、そこからも輸血、輸液を開始した。
(3) 午後四時三五分に、茂子の心臓は停止し、自発呼吸がなくなり、意識がなくなつたため、麻酔を担当していた疋田医師が心臓マッサージを施行し、五分後の同四〇分ころ、再び自発呼吸が発生し蘇生するに至つた。
その後、人工呼吸器を使用し、また、多量の輸血(新鮮血七単位、一四〇〇cc)、輸液(ラクテック一〇〇〇cc)によるショック状態の改善に努めた結果、午後五時三〇分ころ、茂子は意識が幾分明らかになり、最高血圧も九〇に回復し、呼び掛けに反応するようにもなつた。しかし、性器出血や不穏状態は続き、また、血液の凝固機能が低下しはじめ、午後五時四〇分ころには、再び最高血圧は五〇に低下した。大量の輸血、輸液(計三二〇〇cc)にもかかわらず血圧が安定せず、全身状態に改善がみられないため、高沢医師は、この時点で子宮頸管裂傷以外にも出血創があるのではないかと考え、開腹して子宮の摘出手術をする以外に救命をする方法はないものと判断して、原告道寛の同意を得たうえ手術に踏み切つた。
(4) 高沢医師は、午後六時三〇分ころ、茂子を手術室に運んだが、その際の茂子の状態は、最高血圧九〇、脈拍一〇〇、呼吸四〇であつた。しかし、同四八分ごろになり、最高血圧六〇と低下し、血圧は安定せず、脈拍測定不能、顔面蒼白と再び重篤な状態となり、暗赤色の出血が多量に流出するようになつた。しかしながら、高沢医師は、向後茂子のショック状態の改善は子宮摘出手術以外には不能と判断し、すでに脈拍は触診できない状態となつていたが、同五八分執刀を開始した。しかし、高沢医師が開腹し、子宮の周囲を剥離し、子宮動脈を両側結束し、破裂した部位に曲がり鉗子で圧挫した時点で、茂子の心臓が停止し、心臓マッサージをするも反応なく、午後七時二五分に死亡が確認された。
(5) 茂子を開腹した際の子宮所見としては、茂子の子宮は、子宮頸管裂傷に連続して子宮底の方に向けて子宮筋層部分に長さ数センチメートルの裂創が生じており、右裂創は子宮体を覆う漿膜及び腹膜部分には及んではいなかつたこと(但し、裂創の一部は子宮漿膜部分にも及んでいた。)、その裂創のため子宮動脈が切断していたこと、膀胱、腹膜が浮腫状を呈し、後腹膜腔内、傍子宮漿膜下に広範囲に血液浸潤があることが認められた。また、高沢医師は、右開腹手術をしてはじめて茂子に子宮不完全破裂が発生していたことを確知した。
また、西北病院における茂子の出血量は、性器からの外出血約五〇〇cc強、手術時出血約六四二cc、腹腔内出血九七〇ccの計二〇〇〇cc以上と推定された。
なお、<証拠>及び証人石岡武己の証言中には、高沢医師が同証人に対し、茂子の子宮不完全破裂の裂創は頸管裂傷に連続しておらず、頸管裂傷と別個に存在していたかのように説明していたことを窺わせる部分があるが、右各証拠は、証人高沢哲也、同高橋秀身の前記各証言及び検証の結果と対比して著しく不自然であり、たやすく措信できない。
四茂子の死亡原因
前示認定の事実に加えて、鑑定人藤本征一郎の鑑定の結果(以下単に「鑑定の結果」という。)、証人藤本征一郎、同高沢哲也、同高橋秀身の各証言を総合すれば、茂子は、本件分娩に際し発生した子宮頸管裂傷とこれに連続する子宮不完全破裂による外性、内性の大量出血のため、出血性ショック状態となり、急性貧血の症状を呈し、それが重篤となり、また、ショックないしは大量出血に起因するDICをも併発し、それらの悪循環により、不可逆性ショックに陥り、最終的には心不全で死亡するに至つたことが認められる。
五子宮頸管裂傷、子宮不完全破裂、DICについて
<証拠>を総合すれば、以下のとおり認められる。
(一) 分娩時の異常出血は妊産婦死亡原因の上位を占めており、その原因をなすものとして、弛緩出血、頸管裂傷、胎盤早期剥離、DIC等が挙げられている。ところで、分娩時には、往々にして子宮頸管部や軟産道等に裂傷が生ずることがあり(全分娩数の約八八パーセントに大なり小なり損傷を伴うとする研究報告があり、なんらかの処置を必要とする頸管裂傷の頻度は、従来初産婦で一〇パーセント以下、経産婦で五パーセント以下とされていたが、最近では減少傾向にあり、初産婦で1.2パーセント、経産婦で0.5パーセント程度とされている。)、それがときに出血多量となり、早期に適切な治療が行われないと手遅れとなり、妊婦の死亡を招くということも往々にしてあるから、著明な出血がなくても胎盤娩出直後に母体の内診(触診、膣鏡による視診)をして、子宮頸管裂傷や子宮破裂の有無、部位、程度等について精査することは、産科医の基本的義務であると解されている。そして、子宮頸管裂傷は一般には頸管部から子宮体下部組織に向かつて裂けるものであり、その延長として子宮不完全破裂が発生することがあるから、子宮頸管裂傷を発見したときには、その上端部を確認して、断裂が子宮下部組織に及んで子宮不完全破裂を起こしていないかどうかについても念入りに確認したうえ、その上端部より一センチメートル以上上から縫合して、止血することを要するといわれている。また、胎盤娩出後時間が経過すると、子宮が収縮し子宮腔内を触診すること自体困難となるうえ、頸管裂傷部や子宮腔内に出血創がある場合は出血した血液の浸潤を受け、浮腫が強くなるなどし、指先で触診をしても人の感覚には限りがあるから頸管裂傷の上端部や子宮下部組織の断裂を発見することはますます困難となつてしまうので、時期を失することなく膣や子宮内の内診を行うことが重要であるといわれている。
(二) 子宮破裂は損傷の程度により、裂創が筋層部分だけでなく漿膜ないしは腹膜までの子宮壁全層に及ぶ子宮完全破裂と、裂創が筋層部分だけにとどまり漿膜や腹膜に損傷のない子宮不完全破裂とに分類される。そして、不完全破裂の症状は完全破裂の症状に似る場合もあるが、一般に非定型的な症状を示すことが多く、出血は破裂創側の広靱帯内に貯溜し、腹膜下結合組織の方向に浸潤拡大し、出血が多い場合は急性貧血、ショックの症状を呈し、早期に適切な措置がとられないと、裂創部分からの大量出血、それによる出血性ショック、死亡という経過を辿る可能性が高い。その処置としては、裂傷部が子宮頸管部からあまり深くなく、出血量も少なく止血が容易であり、感染の疑いも少ないような場合には、縫合術によつて子宮を保存する方が母体に対する結果がすぐれていると言われているが、裂傷が子宮下部組織に及ぶ場合には縫合は困難であるから、貧血及びショック症状に対して、輸血、輸液、酸素補給、強心剤や副腎皮質ホルモンの投与などの措置を講じるとともに、患者の状態の許すかぎり、止血と感染防止のために可及的速やかに開腹手術をして子宮を摘出することが、妊婦の救命のために最善の措置であるとされている。なお、わが国における子宮破裂を起こした母体の死亡率は従来三〇ないし五五パーセントにのぼつていたが、最近では手術管理の向上や抗生物質の進歩等により飛躍的に減少し一〇パーセント未満となつている。
(三) 子宮不完全破裂の症状は、完全破裂の症状に似るが、非定型的な症状を呈することが多く、出血は広靱帯内に溜まり血腫を形成し、出血が多量なときには貧血、ショック症状を呈する。また出血が側腹壁に沿つて広がり、下方の骨盤骨膜に達すると疼痛を訴えるなどの症状がみられる。さらに、外出血の少ない子宮不完全破裂の診断と内出血の把握は困難であるといわれるが、分娩中及び分娩後に原因不明なショック状態を呈したときは子宮破裂の疑いが濃厚であるといわれており、とくに、分娩後妊婦に出血が続き輸血や輸液などの措置を講じても血圧の改善が認められないような場合には、産科医としては、まず内出血を疑うべきであり、とくに頸管裂傷を縫合してもなお出血が続くような場合には、裂傷が子宮下部に及んでいる可能性が強いのであるから、再度、頸管深部及び子宮下部の触診を慎重に行つて精査し、出血部位を正確に確認し、子宮不完全破裂の有無についても精査すべきであるといわれている。
(四) DICについて
DICとは、生体内で何らかの機転により血管内で血液凝固が活性化され、全身の細小血管に多数の血栓が形成され(凝固性亢進期)、そのために血液及び臓器に次のような変化、疾患が生じる一連の現象をいう。
まず、血液内では、右の血液凝固過程で血小板、繊維素原等が大量に消費され(消費性凝固障害期)、他方血栓を溶解すべく繊維素溶解酵素の働きが活発化し(線溶亢進期)、その結果血液の凝固障害による大量出血を来す(代償期)。一方臓器、とくに腎や肺には微小血栓のために、その部分に循環障害が起こり組織の出血性壊死を来たすというような症状を呈する。
とくに、産科領域においては、急性定型的なDICの発生が多く、その基礎疾患としては、早剥、羊水栓塞症、大量出血、ショック等が挙げられている。ショックとDICの関係をみると、DICが原因でショックになることもあれば、ショックが原因でDICになることもあり、ショックとDICとの間で悪循環が形成されショックが不可逆性ショックの方向に進み死に至ることが多い。
また、DICの治療方法として最も重要なことは、原因となつた基礎疾患を排除することであるが、病態の進行段階に応じて、アプロチン製剤、フイブリノーゲン等の投与、新鮮血の輸血、副腎皮質ホルモンの大量投与その他適切な治療を実施することが必要である。そして、産科におけるDICは基礎疾患の排除が比較的容易であるため、重篤な疾患が多いわりに、早期に適切な処置が施されるならば救命率は高く、産科におけるDICの死亡率は一〇パーセント前後といわれている。
六被告斎藤の責任
1 以上認定したところに、鑑定の結果及び証人藤本征一郎の証言を総合して、被告斎藤の診察契約上の債務不履行又は不法行為上の過失の有無について認定、判断する。
(一) 茂子は、午前一一時一三分の胎盤娩出後間もなく滲むような性器出血が持続し、同一一時二二分ころには血圧が下降し(九六ないし六〇)、眼瞼がやや貧血ぎみとなるなど軽いショック状態を呈するようになつたのであるから、被告斎藤としては遅くともその時点で内診をして、出血部位の確認、その原因の把握等に努めるべきであつたし、とくに午前一一時二六分ころから酸素吸入、輸液(パンアミンD)、強心剤エホチールの筋注、保存血、新鮮血の輸血を実施するなどショック状態の改善に努めたにもかかわらず、血圧が上昇せず、ショック状態の改善がなかつたのであるから、一層その原因、出血部位の確認等に努めるべきであつた。しかるに、被告斎藤は、茂子のショック状態を分娩後の一時的ショック状態と考え、血圧を上昇させて一般状態の改善をはかることに気を奪われ、内部の出血を疑わないまま時間を徒過し、分娩後約一時間二五分も経過した午後〇時三二分ころになりはじめて内出血を疑い内診を実施したに過ぎない。
そして、内診の結果、被告斎藤は子宮頸管部の三時の方向に裂傷を発見したが、内診実施時期を失したため、裂傷部位がすでに血涎で浸潤しており、浮腫状態が強かつたことなどが原因で、右裂傷の上端部を確認した際裂傷が子宮下部組織に及んで子宮不完全破裂を起こしていることを看過し、結局、右頸管部の裂傷のみを縫合しただけで子宮下部組織の断裂をそのまま放置する結果となり、茂子は、同所からの出血が多量となり、出血性ショック状態となり、急性貧血の状態を呈し、大量出血ないしショックを原因とするDICを併発して、その悪循環により不可逆性ショックとなり、心不全により死亡した。
(二) そして、前記のように、著明な出血がなくても、胎盤娩出直後に妊婦の内診を実施することは産科医の基本的義務と解されるから、その時点で被告斎藤が直ちに茂子の内診をしていれば子宮頸管裂傷を早期に発見することができ、そうすれば頸管裂傷の上端部を確認する際に、血液の浸潤を受ける以前の子宮腔内を触診することによつて頸管裂傷に連続する子宮下部組織の断裂を発見できた可能性が少なくなかつたものというべきである。しかるに、被告斎藤は胎盤娩出後直ちに内診すべき義務を怠り、子宮頸管裂傷及びそれに連続する子宮不完全破裂の存在を早期に発見する機会を失した。
(三) なお、被告斎藤が、胎盤娩出後直ちに内診による精査を実施していたならば、その際に本件頸管裂傷を発見することができただけでなく、これに連続する子宮下部組織の断裂(子宮不完全破裂)をも触知することが可能であり、そして、子宮不完全破裂が判明した時点で、可及的速やかに開腹手術をして子宮を摘出するなどの処置を講じて出血部位の止血に努めるなどしたならば、出血性ショック状態が重篤になることもなく、DICを併発する可能性も減少し、ショックとDICの悪循環に陥ることもなく、茂子を救命しえた可能性は大きかつたものと考えられる。
(四) そうすると、時宜に適した内診を怠り、茂子の致命傷たる子宮下部組織の裂傷(子宮不完全破裂)を発見できなかつたことは、被告斎藤の注意義務違反であるといわざるを得ず、この点において、被告斎藤には、過失があつたものといわなければならない。
2 これに対して、被告斎藤は以下のように主張するので検討する。
(一) まず、被告斎藤は、子宮頸管裂傷を縫合した際に、裂傷の奥の方が盲端に終わつていることを確認したうえで縫合しているのであるから、子宮不完全破裂を見落としたというようなことはないし、仮に、本件頸管裂傷の奥に接続する破裂創があるとすれば、子宮を摘出する際に形成されたものとみるべきであると主張し、乙第一号証の二、乙第三号証及び被告斎藤本人の供述中には、右主張に副う部分がある。しかし、右各証拠は、茂子の子宮頸管裂傷は子宮底の方に向かつて連続して断裂する裂創であつたとの証人高沢哲也、同高橋秀身の各証言及びこれによつて真正に成立したものと認められる丙第一号証の九、証人藤本征一郎の証言、鑑定及び検証の結果に照らし、たやすく措信することができず、他に右主張事実を認めて前示認定を覆すに足りる証拠はない。
(二) 次に、被告斎藤は、頸管裂傷縫合時には、本件の裂傷部位はその表面が漿膜や靱帯に覆われていたうえ、漿膜や靱帯などに血液浸潤による浮腫、腫張があつたため、本件裂傷をはつきりとは確認出来ない状態にあり、被告斎藤が本件子宮不完全破裂の裂創を発見できなかつたとしてもやむを得ないものであると主張する。しかし、証人高橋秀身、同高沢哲也及び同藤本征一郎の各証言からも明らかなように、漿膜や靱帯は子宮体を外から支える組織であり、子宮内部にあるものではないから、漿膜や靱帯の存在が破裂創の発見を妨げるということは想定し難く、したがつて右主張は、採用することができない。のみならず、本件で問題になるのは、胎盤娩出時における内診義務であるから、頸管裂傷縫合時における子宮不完全破裂の裂創の確認が不可能であつたとの事実は、被告斎藤の右過失責任を左右することがらには該当しないものといわなければならない。
(三) また、被告斎藤は、もともと子宮不完全破裂は極めて希な症例であるうえ、非定型的な症状を呈するものであるから、その診断は困難であり、被告斎藤がそれを発見できなかつたとしても、直ちに過失があるとは断じがたい旨主張する。そして、成立に争いがない甲第一〇号証の四によれば、子宮破裂の発生頻度は全分娩中の0.09ないし0.16パーセントであること、また弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一五号証によれば、子宮破裂のうち自然破裂の発生頻度は全分娩中の0.008ないし0.01パーセントであることがそれぞれ認められ、これらによれば子宮不完全破裂は、極めて希な症例であるというべきである。しかしながら、希な症例であることから直ちにその診断が困難であるとか不可能であるということはできず、むしろ本件の子宮不完全破裂の症状は、前認定のように子宮頸管裂傷に連続する子宮頸管裂傷下部組織の断裂であるから、早期に内診を行い、頸管裂傷に沿つてその上端を確認しながら子宮腔内を慎重に触診すればこれを発見することは可能であつたものというべきである。なお、本件においては、その症状の発見及び診断が困難ないし不可能であるとする特別の状況の存在を認めるに足りる証拠はない。
(四) さらに、被告斎藤は、鑑定の結果についてその判断のよつてきたるところの文献や資料を明記せず、系統的説明もなく、簡潔に過ぎるとして、その信用性につき論難する。しかしながら、本件鑑定は、産科医であり大学医学部助教授である鑑定人が、その経験的臨床的立場から見て、本件事故当時被告斎藤がとつた措置が分娩ないし胎盤娩出直後における産科医の基本的義務に照らして適当なものであつたか否かについて見解を示すことを目的としたものであつて、子宮不完全破裂一般論についての高度な学術的見解を示すことを目的としたものではないから、これについて文献・資料の明記や系統的な説明が必ずしも重要であるとはいい難く、したがつて、これらの欠如が鑑定の結果の信用性に影響を及ぼすものとはいえないからこの点に関する被告斎藤の主張は採用することができない。
なお、乙第三号証の意見書には、被告斎藤が本件子宮不完全破裂の裂創を見落としたことについては過失がない旨の記載部分があるが、右乙第三号証は、被告斎藤が本件子宮不完全破裂の裂創が盲端に終わつていることを確認したという事実や胎盤娩出後間もない時期に内診をしたという事実を前提にしたものであるところ、前示のとおり、本件においてそのような事実は認められないのであるから、右乙第三号証は、本件とは異なる前提事実に立つものとして、採用することができない。
3 以上によれば、茂子の死亡は、被告斎藤の過失による不法行為に基づくものというべきであるから、被告斎藤は、茂子の死亡により原告らが被つた損害について賠償する責任があるといわなければならない。
七被告五所川原市の責任
(一) 原告らは、被告五所川原市の履行補助者である高沢医師及び高橋医師には、次のような過失があると主張するので判断する。
(1) 原告らは、茂子は西北病院に転送されてきた時点で、既に、多量の出血と推認される重度ショック症状を呈していたうえ、斎藤医院で頸管裂傷を縫合したのに出血が続き、酸素吸入、輸血、輸液などの措置にもかかわらずショック状態の改善が認められなかつたのであるから、高沢医師及び高橋医師としては、子宮体に頸管裂傷以外の出血創があるのではないかと予見し、躊躇することなく、直ちに開腹手術に踏み切り、その出血創からの出血を止める方法を講ずるべきであつたのに、これを怠り、茂子の一般状態の改善に時間を空費し、茂子の病態を悪化させ死に至らしめたものである旨主張する。
西北病院に転送された際の茂子が、最高血圧四〇というような重度ショック症状を呈していたため、高沢医師らが、茂子のショック状態の改善に時間を費やし、転院後二時間四〇分を経過した時点で漸く内出血を疑うようになつたことから、開腹手術に踏み切るまでに相当時間が経過してしまつたことは、前示三(二)に認定のとおりである。
しかしながら、証人高橋秀身、同高沢哲也及び同藤本征一郎の各証言によれば、臨床の現場では、最高血圧が一〇〇以下での手術は生命に対する危険が大きいので、例えば子宮破裂を起こしたことが明確に判明しており、緊急に開腹手術をして子宮を摘出する以外に救命することが全く期待できないというような場合は別として、通常は重度のショック状態のまま直ちに手術に踏み切るというような危険は避け、輸血、補液等によるショックや血圧の上昇等一般状態の改善を図ることが優先されるべきであるといわれていることが認められるところ、前示認定のとおり、高沢医師らは、被告斎藤から、茂子の症状について、頸管裂傷を縫合し、酸素吸入、輸血、輸液などの措置にもかかわらずショック状態の改善が認められない旨の引き継ぎを受けていたものの、茂子が子宮破裂等直ちに開腹手術を必要とするような切迫した容体にあるような説明は受けていなかつたこと並びに、茂子の一般状態についても、引き継ぎの際の被告斎藤の説明では最高血圧を八〇と聞いていたのに、実際には転送されてきたときは、これと異なり最高血圧四〇と重篤のショック状態にあつたことは前示認定のとおりである。してみると、右の事態に照らせば、高沢医師らが茂子の容体を見て、まずショック状態の改善を図ることに主眼を置き、大量の輸血、輸液を実施し、抗ショック療法に時間を費やしたとしても、このことは無理からぬことであるというべきであり、これが直ちに診断を誤つた不当な治療であつたということはできない。とくに、高沢医師らは、当初から茂子を診察し、その容体を観察していたものではないのであるから、取り敢えず重篤なショック状態の改善に力を注ぎ、その間に茂子を診察し、その治療方針を決定するということも許されるというべく、高沢医師の措置がいたずらに時間を空費した無価値な診療であつたとは解し難い。右措置が必ずしも誤りでなかつたことは、前示三(二)のとおり、茂子の血圧がその後一時的ではあるにせよ最高九〇まで上昇し、一般状態にも改善がみられたことからも裏付けられるものというべきである。
右により、高沢医師のとつた右の処置には過失がなかつたものといわなければならない。
(2) また、原告らは、産科医としては、大量出血等の症状に遭遇した場合は、DIC発症の可能性を考えて必要な検査を実施し、検査の結果DICの発症が判明したときはその病態(凝固亢進期か線容亢進期か消費性凝固障害期かなど)に応じた治療を開始すべき義務があるのに、高沢医師らは、茂子が出血による重症のショック状態にあることを認識していたにもかかわらず、DICの発症を看過し、約三時間にわたつて出血性ショックとDICを長引かせ、茂子の死を招いたものであり、同医師らにはこの点において過失がある旨主張する。
本件証拠上、高沢医師らが、DICの併発を予見したうえでの治療等の処置を講じた形跡は見当たらない。しかしながら、前示認定のとおり、西北病院における治療経過は、転入時重度のショック状態に陥つていた茂子に対し、高沢医師らが、血管の確保、輸血、輸液のポンプによる注入を行うなど一般状態の回復に全力を注ぎ、転入後一時間三〇分を経過した午後四時三五分ころには、心臓が一時停止して意識不明となつた茂子に対し、同医師らが心臓マッサージ等の処置を講ずることにより漸く蘇生させたというものであるが右のような茂子の身体の危機的な状況に照らせば、高沢医師らが茂子の一般状態の悪化を食い止めることのみに専心し、DICの発症を予見した処置に思い至らなかつたとしても、このことはやむを得ないものというべく、DICに対する治療がなされなかつたことをもつて、高沢医師らに直ちに産科医としての基本的義務を怠つた過失があると解することはできない(付言すれば、前示のとおり、本件事故は、被告斎藤が茂子の子宮不完全破裂を見落とし、適切な処置をとらなかつたため、破裂創から出血が続き、出血性ショックとDICとの悪循環により不可逆性ショックとなり、同女が死亡するに至つたというものであるから、茂子の死亡については、被告斎藤の過失が決定的原因をなしているものであり、DICに対する治療の欠如が茂子の死亡に与えた影響力は、微小なものに過ぎず、これと茂子の死亡との間には、相当因果関係はないものと解するのが相当である。)。
(二) 右のとおりであつて、被告五所川原市の履行補助者たる高沢医師及び高橋医師には、茂子の死亡について過失は認められず、したがつて、被告五所川原市に診療契約上の債務不履行や不法行為があつたということはできない。
八請求原因6(損害)について
1 茂子の逸失利益と原告らの相続
(一) <証拠>によれば、次の各事実が認められる。
茂子死亡当時、石岡家の家族は、夫である原告道寛と原告ら三人の子供のほか、道寛の両親、道寛の祖父及び道寛の弟(一名)がおり、茂子はこれら同居の家族の家事、育児に従事する一方、原告道寛らとともに、家業である農業に従事していた。石岡家は、稲作(約三町二反)及びりんご栽培(約八反)を主とする専業農家であり、茂子死亡前の三年間の年平均収穫高は、農協に販売委託した分が米二九六俵、りんご九二二箱であり、年平均販売額は米が三九三万〇五五三円、りんごが二二八万〇四九八円であつたが、実際の総収穫高は右販売委託額よりも、りんごが約一割多く(農協委託販売額に換算して約二二万八〇四九円、円未満切り捨て、以下同じ)、これを農協を通さず直接販売しており、米が約一五俵多く(金額にすると一俵当たり一万六〇〇〇円、計二四万円)、これを自家用にしていた。
したがつて、年平均の粗収入は米が四一七万〇五五三円、りんごが二五〇万八五四七円であつたが、右粗収入から経営費として米については五〇パーセント、りんごについては三〇パーセントの金額を控除すると、純収入は米が二〇八万五二七六円、りんごが一七五万五九八二円、計三八四万一二五八円と算出される。
(二) 右石岡家の家族構成に照らせば、茂子の石岡家の農業経営に対する寄与率は四〇パーセントとみるのが相当であるから、茂子の平均年収入は三八四万一二五八円の四〇パーセントの金額である一五三万六五〇三円と認められる。
(三) また、茂子の生活費は茂子の家族構成から考えて四〇パーセントとみるのが相当であるから、茂子の年間純収入は九二万一九〇一円となる。そこで、茂子の将来の就労可能年数を死亡当時の二五歳から六七歳までの四二年間とみて、その間の中間利息をホフマン式計算法で控除し、茂子死亡時の得べかりし利益の現価を計算すると、その額は二〇五五万一九三九円と算定される(計算式は次のとおり。)。
921,901×(1−0.4)×22.293(新ホフマン係数)=20,551,939(円)
(四) 前示甲第一号証によれば、原告道寛は茂子の夫、同奈保美、同雅樹、同育子は茂子の子であることが認められるから、茂子の死亡により、原告道寛は三分の一、同奈保美、同雅樹、同育子はいずれも九分の二の割合で茂子の権利義務を相続し、結局茂子の被告斎藤に対する右逸失利益の請求権のうち、原告道寛は六八五万〇六四三円、同奈保美、同雅樹、同育子はいずれも四五六万七〇九七円の各請求権をそれぞれ相続により取得したものというべきこととなる。
2 慰謝料
<証拠>によれば、原告道寛は茂子と昭和四四年以来夫婦として幸福な家庭を営んできたことが認められるところ、原告道寛が本件事故により最愛の妻を失い、また、同奈保美、同雅樹、同育子がともに母親の愛情の下に重要な成育期を過ごす機会を奪われ、それぞれこれにより多大の精神的苦痛を受けたことは明らかであるが、本件事故の内容、過失の態様等を考慮すれば、右精神的苦痛に対する慰謝料額は、原告道寛については三〇〇万円、同奈保美、同雅樹、同育子については各二〇〇万円をもつて相当と認める。
3 弁護士費用
原告らが、本件訴訟の提起及び追行を弁護士に委任し、報酬の支払を約束したことは弁論の全趣旨により明らかであるが、本件訴訟の経緯、内容、認容額等に照らせば、本件事故と相当因果関係がある弁護士費用額は、原告道寛については一〇〇万円、同奈保美、同雅樹、同育子については各六〇万円をもつて相当と認める。
九結論
以上によれば、被告斎藤は、原告道寛に対し逸失利益の相続分、慰謝料及び弁護士費用の合計一〇八五万〇六四三円、同奈保美、同雅樹、同育子に対しそれぞれ逸失利益の相続分、慰謝料及び弁護士費用の合計七一六万七〇九七円並びに右各金員に対する不法行為である昭和五一年二月一二日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるというべく、原告の本訴請求はその限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項を、仮執行宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官山口忍 裁判官小林崇、裁判官荒木弘之は、いずれも転補のため、署名押印することができない。裁判長裁判官山口忍)